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プリンスバイオグラフィー ~誕生からデビューまで~

伝説のはじまり

プリンス・ロジャース・ネルソン(Prince Rodgers Nelson)。
生まれながらにプリンスとなることを宿命付けられた黒人の男の子は、1958年6月7日に合衆国ミネソタ州ミネアポリス市のマウント・シナイ病院で生を受けました。
※以前は「ロジャーズ」と記載していましたが、発音についてはちありさんから情報を頂き修正しました(2011/06/12)。

まず、彼の驚異的な名前の由来ですが、紛れも無い実名。
父親ジョンが在籍していたジャズ・バンド「プリンス・ロジャー・バンド」から命名されたものです。 ミュージシャンであった父は、家計のために工場で働く傍らで音楽活動に勤しんでいたそうです。同じバンドにボーカルとして所属していた母親のマティは、結婚後は普通の職について働いて家計を支えます。後述する再婚の関係で、プリンスには多くの異母兄弟がいますが、実の兄弟は妹のタイカだけです。

ミネアポリス地図ミネアポリスは17世紀にフランスからの移民によって建設された都市で、ミネソタ州最大の都市でもあります。隣接する都市、セント・ポールには歴史的な建造物が多く残り、ミネアポリスには先進の文化が集まっています。この2都市のことを指してツイン・シティと呼ばれることもあります。多くの湖や川を湛え、自然との調和の取れた美しいエリアです。
また、有色人種の割合が低い街としても知られ、ショウビズ界も白人中心でした。この環境が、プリンスの音楽的バックグラウンドに少なからぬ影響を与えたと言われています。

少年プリンス ~父親とバットマン~

プリンスが7歳のとき、父親が出奔。両親は離婚してしまいます。
父親が残したピアノに父親の影を見たのでしょうか、TVシリーズの主題歌などを耳で覚えては弾くのがプリンス少年の楽しみの1つでした。
その中の1つに、有名なTVシリーズ「バットマン」がありました。1989年に奇しくも同名映画の名前を冠したアルバムを製作しますが、その因縁はここにあったと言えます。

バットマン因みに、左の写真が当時(1960年代~)に放映されていた実写版の方の「バットマン」。
最近の格好いいバットマンしか知らない世代が見たらショックを受けるでしょうね。これは一般人のコスプレ写真ではなく、本物のプロがやっていたTV番組です。この、とんでもなくダサい&チープなバットマンは、これでも大人気を博していました(かつては、日本でも放映されていました)。テーマ曲は「ダララララ~♪バットマーン♪」というのを延々繰り返す、いかにも昔のヒーローものといった趣で耳から離れません。

やがて、母親が新しい夫、ヘイワード・ベイカーと再婚。
この継父とプリンスは折り合いが悪く、プリンスは家出を重ねるようになります。

学生時代のプリンスと、音楽的才能の萌芽

学業はそこそこ優秀だったプリンスは、スポーツにも秀でていました。中でもバスケに関してはレギュラー・メンバーの座を得るほど得意だったそうです(彼の背の低さにも関わらず)。文武両道というか優等生ですね。
次第に彼は音楽のクラスを専攻するようになり、本格的に著作権や契約に関する講義を受講。才能は勿論ですが、この真面目さ・勤勉さが彼の本質なのかもしれません。

バットマン義父との軋轢のため家出の常習犯だったプリンスは、親友のアンドレ・アンダーソン(初期レボリューションのメンバー、アンドレ・シモン)の家に居候。地下室でジャム・セッションを重ねて、様々な楽器を習得していったそうです。

余談ですが、有名なエピソードがあります。アンドレの部屋に転がり込んだプリンスは、部屋をテープで仕切りました。男の子らしく散らかし放題のアンドレに比べ、プリンスの陣地は整理整頓されていたそうです。 プリンスの神経質な性格はプライベートにまで及びます。

プリンスとアンドレは、グランド・セントラル(後のシャンペーン)というバンドを結成。 地元紙にインタビューを受けたこともありますが、やがて自身のキャリアを重視して脱退。
その後、 ペペ・ウィリーが率いる94イーストというバンドのセッションに参加するようになります。レコーディング技術や作曲の構成力などを覚えたそうです。この頃の音源はいくつかのCDで聴くことができます(プリンスはあくまで、バンドの一員として参加)。

94East94East
Reviewでも紹介しています。

ワーナーと破格の契約

プリンスはオーウェン・ハスニーを自身のマネージャーとして契約。オーウェンは、幾つものレーベルにプリンスの契約を持ちかけました。しかも「プロデュースをプリンス自身が行う」という条件付きで。当時プリンスは20歳に満たなかったのですが…。

多くのプロデューサーやお偉方による実技テストに合格したプリンスは、ワーナー・ブラザーズとの契約を締結します。無名の新人としては破格の金額と、最低3枚のアルバムリリースを含む、未曾有の待遇でした。
これはオーウェンの人脈と手腕によるところが大きいですが、プリンス自身の煌きを見逃さなかった、ワーナーのスタッフの先見の明を称えるべきでしょう。プリンスは「第2のスティービー・ワンダー」として、神童のイメージを打ち出されます。

後にプリンスの最大の敵ともなる、ワーナー。
恩人にして仇との、長い蜜月が始まります。

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参考文献:
「プリンス大百科」 ソニー・マガジンズ ISBN4-7897-0689-3 
「A Pop Life」 ㈱CBS・ソニー出版 ISBN4-7897-0506-4
「Prince[1958-1994]」 宝島社 ISBN4-7966-0859-1
「戦略の貴公子」 blues interactions, inc. ISBN 978-4-86020-257-6


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