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バイオグラフィー:自由を求めて

かつてプリンスと呼ばれたアーティスト

symbolとなったプリンスの活動は精力的なものでした。
メディア露出はかつてないほど頻繁になり、自身の新レーベルであるNPGレコードから矢継ぎ早に作品をリリースしたり、さらに「TORA TORA」という別名義で活動したり、「Interactive」というパソコン用のCD-ROMまで発売しています。
そんなプリンスの活動を失速させたのが、ワーナーからの圧力でした。あまりに早いアルバムリリースは販売戦略上問題があったため、プリンスの意図する日程でのリリースは遮られました。

SLAVE PRINCEワーナーとの闘争の原因は、重役に口出しされて思い通りにならない音楽活動だけではありませんでした。「マスターテープはアーティストが所有するべきである」とは、今日まで続くプリンスの主張。同主張は、この時期に特に顕著になり、ワーナーと継続的に争う構えを見せました。しかも、所属するレコード会社に搾取されている自身を奴隷に見立て、公の場所に出る際には頬に「Slave(奴隷)」とペイントする徹底ぶり。
自身の名前を発音できない記号に変えて、頬に「Slave」とペイントした男の奇行は、多くの人の嘲笑の的となります。まるで風車に挑むドン・キホーテか、単なる我侭な世間知らずのようだと。これに対し、プリンスは後に「沢山の人に嘲笑されたけど、自身の信じる道を進むべきだと思った」というニュアンスのことを述べています。

プリンスは契約解消のために、「やっつけ仕事」とも取れるリリースを繰り返しました。
・かつて自らの意思で封印した「Black Album」(限定販売)
・2日でレコーディングした粗い作品「Chaos And Disorder」
・過去音源の寄せ集め「The Vault: Old friend 4 sale」

マイテとの結婚

プリンスとマイテ話は若干前後しますが、プリンスにとって節目となる事件が1996年のバレンタイン・デーに起きました。プリンスと、そのバックバンド「NPG」のダンサーであったマイテ・ガルシアが電撃的に結婚したのです。 それ以前から両者に男女の関係があったことは明らかでしたが、プリンスが結婚という選択肢を選んだことは、衆目の予想外でした。
その後、マイテが初の男児を懐妊。Princeのアラビア語、Ahmir(アミーア※)と名付けられました。しかし不幸にも、この男児には先天的な障害があり、出産後ほどなく死亡してしまいます。そして、この悲劇は2人の距離が離れていく最大の契機となったそうです。※長年インターネットではボーイ・グレゴリーと信じられていましたが、マイテ本人は否定しています。

しかし、関係が完全に離れる前から、プリンスは法律上の「結婚」を放棄していました。つまり法的には既に離婚していたのですが、関係は継続。当時は「法律などにしばられない、真の意味のソウル・メイトを目指すため」と説明されていますが、本当の内情は本人達以外には知る由もありません。

解放と試行錯誤

EMIと暫定的に契約。自身のレーベル以外では初となる、ワーナー以外のメジャー供給による3枚組み大作をリリース。キャリア最大の規模の同作は、その名も「Emancipation(解放)」。鎖を解き放ったジャケット・デザインが表現するものは、まさしく「ワーナーからの解放」でした。

次にプリンスは、中間マージンやロイヤリティ搾取を省略する直販形態に着目します。すなわちレコード会社を介さない直接的な音楽の供給。それを可能にしたのは、当時急速に普及が進んだインターネットでした。
プリンスは過去にお蔵入りした3枚組大作「Crystal Ball」を、通信販売限定で販売すると宣言。インターネットを大いに利用しました。ネットビジネス黎明期の試みだったため、多くの混乱もありましたが、収益的には成功。以降、プリンスはネットビジネスに注力することになります。

※過去に作成された「Crystal Ball」とは、ほぼ別物。「The Truth」と「Kamasutra」という新作も同梱されていました。のちに若干商品構成が異なったバージョンが店頭でも限定販売されました。

かつてsymbolと呼ばれていたプリンス

ミレニアムの幕開けとともに、プリンスは自身の名前をsymbolから「Prince」に戻すと発表しました。ワーナー・チャペルと契約が切れたタイミングを狙った戦略と言われています。
symbolの表記に煩わされていた印刷会社にとっては朗報であり、せっかく覚えた名前を元に戻さなくてはいけないラジオ局のDJにとっては面倒な話でした。

NPG Music Club 時代

NPGMCレーベルを介さない音楽の提供形態に手ごたえを感じたプリンスは、活動の場をインターネットに移行

新たにリニューアルされた公式サイトは、「NPG Music Club」と命名されました。 会員制の有無など若干の変遷はあったものの、数年続いた同サイトでは、さまざまな音源や映像、グッズなどがダウンロード販売された(中には、CD化されていない音源も)。 同サイトの会員にライブでの特権を与えたりと、徹底して付加価値を追及していました。これによりコアなファンの囲い込みを試み、コンスタントな収益を確保したものと思われます。
のちに何の前触れもなく閉鎖しましたが、その理由としてはサイト名の商標問題で訴えられたというのが定説です。

※完全にインターネットだけで活動していたのではなく、この時代にも並行してCDのリリースは行われていたし、ライブも行われていました。

エホバ入信と再婚

プリンス2人目の奥さんマニ音楽的なサポートをきっかけに、急接近したラリー・グラハムの影響で、プリンスはエホバの証人に傾倒していきました。 これまでも神に関する発言や歌などがあり、信仰心の篤いことは窺えたのですが、特定の宗教に対する傾倒がここまでハッキリしたのは始めてでした。

レインボー・チルドレン Reviewでも紹介しています。

アルバム「The Rainbow Children」は、これまでにない宗教色の濃い作品でした。同じく神について歌った「Lovesexy」のような作品とは異なり、明らかにエホバの視点から歌詞が考えられていました。ファンにとって最も重要な変化は、プリンスの十八番といもいえるダーティな言葉が使用されなくなったことです。これにより「Darling Nikki」などの卑猥な曲がライブで演奏されることがなくなってしまいました(プリンスがエホバを脱会しない限り)。

そして、プリンスは同じエホバの信者であるマニュエラ・テストリーニと再婚します。マイテと異なり、彼女はペイズリー・パークのスタッフでした。これまで交際してきた女性と異なるタイプで、外部的なイメージは鴛鴦(おしどり)夫婦だった2人ですが、結局数年で破局を迎えることになります。

※言うまでもなく、スライ&ザ・ファミリー・ストーンのベーシストにしてチョッパー奏法の創始者。プリンスは彼をサポートして自身のバンドに編入、NPGレーベルとしてもサポートもしています。

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参考文献:
「戦略の貴公子」blues interactions, inc. ISBN 978-4-86020-257-6
一部、Wikipediaより


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