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プリンスバイオグラフィー ~世界は再び紫に染まった~

円熟期と3つ目少女

なにをするにしても唐突なプリンスですが、「3rd Eye Girl」というプロジェクトを立ち上げたときも同様でした。突然ウェブサイトに謎の3つ目女性の画像が現れたのです。3rd Eye Girlという名前だけが先行して公開され、いたずらっぽく謎めいた情報は小出しにされました。
ほどなく、3rd Eye Girl とは、全員女性で構成された新しいバンドだということが判明。それ以降、しばらくの間プリンスの活動は 3rd Eye Girl を母体とします。

4年間のインターバルの後、2014年から2015年にかけて堰を切ったかのように4枚のアルバムが続々とリリースされました(うち1枚は3rd Eye Girl名義)。その皮切りとなったアルバム「Art Official Age」は2つの点でエポックメイキングな作品でした。
1点目は、なんと長年の仇敵であったワーナーと和解&再契約してリリースされたこと。そして2点目は、共同プロデューサーとしてバンドメンバー、ハンナの夫であるジョシュア・ウェルトンの名前が冠されたことでした。

AOA Plectrumelectrum HITNRUN Phase one HITNRUN Phase two
Reviewでも紹介しています。

デビューから一貫してセルフ・プロデュースを貫いてきたプリンスにとって、無名の若者と共同プロデュースをする必要が無いことは誰の目にも明らか。続いて出されたアルバム「Hitnrun Phase One」でも同様にジョシュアのクレジットが冠され、さらに多くのゲストを迎えた企画盤のような内容でした。プリンスはある意味円熟に差し掛かっており、やりたいことをやるだけでなく、後進に胸を貸す境地だったのかもしれません。

原点への回帰

3rd Eye Girl のハンナが妊娠のためバンド活動が休止。そのタイミングでTwitter アカウントもプリンス単独に。

この機会を待っていたかのように、Piano& A Microphone と銘打ったワールドツアーがミネアポリスからスタートしました。プリンスが独りでピアノを弾き語るというもので、ある意味、プリンス史上最もソリッドなコンサートでした。これまでのコンサートでもピアノの弾き語りはありましたが、丸ごとというのは初めて。
セットリストはプリンスのキャリアを振り返るような内容で、コンサート中のMCではプリンスが饒舌に父親のことや過去の思い出を語るという、非常にパーソナルなものでした。直前のプロジェクトで様々なアーティストとコラボレーションしていた姿と非常に対照的です。

ツアー中、プリンスは自らが執筆する回顧録を出版するとアナウンス。コンサートの内省的な内容といい、まるで自身の人生総括を早くも始めたがっているような印象でした。ただ、飽きっぽいプリンスのことなので、その回顧録を我々が目にすることはないだろうと多くのファンが予測したのも事実です。
残念ながらその予測は的中しましたが、回顧録が書かれなくなる本当の理由までを予測した者はいませんでした…。

突然の悲報

それは、あまりにも突然のできごとでした。
2016年4月21日、プリンスが死亡したというニュースが世界を駆け巡りました。あまりにも唐突かつ信じがたい内容だったため、誰もが出来の悪い冗談だと思いました。しかし、その悲報が事実であることを知るのにはそれほど時間がかかりませんでした…。
現地時間の朝、ペイズリーパークスタジオのエレベーターの中で独り倒れているプリンスが発見されたのです。スタッフによる救命措置と救急搬送も空しく、プリンスはそのまま帰らぬ人となりました。享年57歳、早すぎる死でした。

Rainbow多くのファンがペイズリーパークを訪れ、悪い報せが誤報であることを願いましたが叶わず、深い悲しみに暮れました。その日、プリンスの死を悼むかのように、ペイズリーパークに虹がかかったのは果たして偶然だったのでしょうか?
また、その夜には映画「Purple Rain」の舞台となったファーストアベニューに膨大な人が集まりました。夜通しプリンスの楽曲が流され、ある人は語り、ある人は踊りながら故人が偲ばれました。

プリンスの死後、ホワイトハウスやNASAをはじめ、膨大なミュージシャン・著名人・団体から追悼の意が寄せられました。天才の急逝は各国でトップニュースとして報道され、特にアメリカのTVは大統領選を差し置いて、連日プリンスの報道で埋め尽くされました。
そして、世界各地の施設が紫色にライトアップされ、プリンスの死を悼むとともに偉大な功績が讃えられました。彼の死は、世界を文字通り紫色に染めたのです。

partymind掲示板に寄せられた追悼コメント

 

死因について

プリンスの死因については、死後さまざまなゴシップが飛び交い混乱した状態でしたが、2016年6月2日にミネソタのミッドウエスト検視局が正式な結果をリリースしました。報告によると、死因は鎮痛剤フェンタニルの過剰摂取による中毒死であり、偶発的なもので事件性は無いとのこと。

ミレニアム前後から、手術が必要なほど腰を痛めている(実際その頃からダンスが控えめになっています)という噂がありましたが、その痛みに対する処置だったようです。長年ハイヒールを履きながら、ステージでピアノから派手に飛び降りたり、スプリットなどの激しいダンスをしていたプリンス。普通の人ならできないようなことを続けてきた代償だったのかもしれません。身を削って我々に驚きと感動を与え続けてきてくれた彼のショーマンシップですが、ファンとしては実に複雑な心境です…。

また、フェンタニル等の鎮痛剤による中毒はアメリカの社会問題となっています。プリンスの死が法規制を見直す Controversy の引き金となりそうです。彼の生は多くの人の魂を救ってきましたが、せめて彼の死も誰かの命を救うことになってくれたらと願わずにはいられません。


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