データベース:住居
プリンスがかつて居住していた家や別荘などをまとめました。それぞれの家の写真を押すとGoogleストリートビューにリンクします。
生家~少年期
その1
1958年にプリンスが生誕してから、少しの間だけ両親と住居していた家です。パステルカラーがなんとも可愛らしいです。集合住宅のようで、それほど裕福なお家でないことが伺えると思います。ここで赤ん坊のプリンスがオギャーと言っていたと思うと、普通の家がやけに愛しく見えてきます。
その2
1958年末にはこちらの家に引っ越してきます。とは言え当時の建物は取り壊されており、こちらは1995年に新たに建てられた、まったく関係無いお家になります。1960年には、この場所で妹のタイカが生まれています。
その3
プリンスが7歳になる1965年、さらにこちらに引っ越します。このころにはピアノをジャンジャン弾いていたそうです。しかし、2年後両親は離婚することになりました。
その4
正面の十字架が印象的なこの家は、離婚後に実父のジョン・L・ネルソンが1972年から住んでいた家です。プリンスはここで父親と住んでいたことがありますが1年に満たないうちに出ていきます。
思春期:アンドレ・シモンの家
プリンスの幼馴染であり初期バンド・メンバーとなるアンドレ・シモンの家です。家出を繰り返していたプリンスは、世話好きのアンドレの母親の親切もあり、ここに居候することになります。最初はアンドレの部屋で同居しましたが、几帳面なプリンスとアンドレは一緒に住みづらく、その後プリンスは地下室に移ったそうです(笑)
おまけ:パープル・レイン・ハウス
プリンスは住居していませんが、家の話をすると必ず取り沙汰されるのがこちら。映画「Purple Rain」のロケで実際に使用された家です。今では観光名所扱いになっています。
カイオワ、紫色の家
チャンハッセンはライリー湖畔にある、かつての住居です。ホームスタジオも備わっていました。1980年前半、ミュージシャンとして成功してから手に入れた初めての邸宅。古いファンの方は、プリンスの家と言えばこちらを思い浮かべるのではないでしょうか。「湖の畔にある紫の家に住んでいる」という逸話は彼の神秘性を高めることに貢献したと思います。プライベートを重視する彼らしく、残された写真は少ないです。
プリンスが引っ越した後、実父が住んでいましたが、逝去後立て壊されました。今でも敷地と門は残されており、観光名所となっています。関連記事はこちら。
ギャルピン通り、黄色の家
同じくチャンハッセンはギャルピン通りの広大な敷地に立てられた黄色い家です。1985年頃から住居していたそうで、こちらもホームスタジオ併設。とにかくだだっ広い敷地には、プール、テニスコートに、なぜか風車まで。邸宅は後年紫色に塗り替えられたようです。芝生の広大な敷地は背の高い樹木で囲まれているため、外から中を伺い知ることはできません。関連記事はこちら。
数少ない、妊娠中のマイテと風車の2ショット。完全なプライベート・ショットですが、マイテの著書「The Most Beautiful」にこの写真が挿入されています。
また、「Gangster Glam」や「Zannalee」のミュージックビデオではこの邸宅で撮影された映像をチラ見することができます。前者は、プールサイドではしゃぐシーンが分かりやすいです。チラっと背景に黄色い家が映りこんでいるので。
立て壊された後は門番小屋と門が残るのみとなりましたが、2018年に跡地に住宅地が造成されることが決定しました。関連記事
マルベーリャ、マイテの別荘
マイテに結婚記念として1996年にプレゼントした豪邸。スペインのリゾート地のマルベーリャにあります。当時のプリンスの名前とマイテのイニシャルMを象った調度品など、二人で写っている写真も多く残されています。離婚後、マイテがしばらく所有していましたが2004年に売却されました。
トロント、マニュエラの別荘
トロント出身のマニュエラのために2001年に購入された豪邸です。2006年の離婚後、売却されました。寒い場所なのでほぼすべての部屋に床暖房が付いているようです。比較的「普通の」家ですが、一説によると紫一色の部屋がどこかにあったそうです。
ビバリーヒルズ、豪邸
プリンスは90年代にもL.A.に別荘を買っているそうですが、こちらの家は借りていたもののようです。地下を含む複数階層で、サウナ、マッサージルーム、ゲームコーナー、室内プール、さらにはラケットボールやボーリング施設まである贅沢っぷりです。どちらかというと誰かを招くためのようにも思えます。実際、室内プールの上にガラスを敷いてジャム・セッションを催したこともあるそうです。発想がおかしい。
この邸宅が売却された際のニュースはこちら。
ビバリーヒルズ、3121邸
NBAのバスケット選手、カルロス・ブーザーがプリンスに貸していた豪邸です。月の賃料は70万ドルとも。しかしプリンスは賃貸にも関わらず、勝手に「3121」や「」などをペイントしたり、配管工事を行ったり、やりたい放題。一時はブーザーから訴えられる騒ぎになりましたが、その後和解しています。
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最後の家、ペイズリーパーク・スタジオ
上記の通り、色んな家に住んでいたプリンスでしたが、晩年はペイズリーパークに落ち着きました。元々居住空間を併設したスタジオで、主に2階に居室があります。
プリンスの逝去後、捜査資料として居住空間を含む中の写真が公開されたのはファンにとっては複雑な思いでしたが、そこにプリンスがいたというリアルな情報も伝わりました。それらは十分豪華ですが、プリンスほどのスターが住むには少々地味なものでした。しかし、よく考えてみるとプリンスは一日の大半はスタジオにいたと思われます。広大な敷地や豪華な部屋よりも、プリンスにとっては常に音楽と向き合える場所が最も心地良く、終の棲家としたのは合理的な判断だったのでしょう。この写真を見る度、一緒に誰かが住んでいれば…と詮無いことに思いを馳せずにはいられませんが…。
ヴァーチャル・ツアー
このコンテンツの動画バージョンを最後にご紹介します。