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プリンストリビア

嘘のような本当の話 ~その7~

賃貸物件を勝手に改造して訴えられたことがある

3121 houseNBA選手のカルロス・ブーザーがハリウッドに所有する豪邸を月70万ドル(!)で期間限定の賃貸提供をしていました。2006年にこれをプリンスが借りていたのですが、なんとプリンスは家主の許可無く建物に「3121」や「15 vs 13」のペイントをしたり、通路をパープルでペイントしたり、果ては自分が使い易いように配管工事までやっちゃいました。(余談ですが当時プリンスは3121を自身の住所番地だと主張、実際に3121で郵便物が届いたそうです)さて、この無法の所業に対してブーザーは原状回復を依頼したもののプリンスから何の連絡もなかったため起訴しかけましたが、翌月には取り下げています。大金で手打ちになったとも報道されましたが、本人の言によると、そもそもプリンスを訴えることは本意ではなく、補償金と完璧な原状回復が約束されたためだそう。

マイケル・ジャクソンと卓球勝負をして圧勝した

プリンスはスポーツ万能ですが、卓球にも自信があったようです。ペイズリーパークスタジオにはバスケットゴールやビリヤード台のほかに卓球台があることが知られています。そんなプリンスが80年代後半、同じスタジオに居合わせたマイケルを卓球に誘いました。マイケルは卓球に関しては初心者だったようですが、プリンスは一切容赦無くマイケルを叩きのめしました。すごすごと退散するマイケル、プリンスは勝ち誇ってマイケルを小馬鹿にするような悪態を付いたそうです。実に大人気無いですが、二人とも負けん気は強そうですよね…。

よく分からない邦題が二つも付けられたことがある

夜のプリテンダー(夫婦のように)アルバム「1999」に収録されている「Let's Pretend We're Married」。この曲の邦題は実は二つあります。1つは「夜のプリテンダー」、そしてもう一つは「夫婦のように」です。なんか真面目にタイプするのが切なくなるぐらいアホなタイトルで、帯伝説のコラム紹介しなかったことが悔やまれるほど破壊力抜群です。なんでこんな意味の分からない邦題が付いたのか? 当時のワーナー担当者の話によると、最初に付けられたのが「夫婦のように」だったそうです。まぁ原曲を直訳したんでしょうね、元のままだと長いから。しかし、シングルとして同曲がリリースされることになった際に、しれっと「夜のプリテンダー(夫婦のように)」に変更されました。さすがにシングルとして演歌のようなタイトルはマズいと判断したのでしょう。「1999」も新しいバージョンではすべて新タイトルに差し替えられており、昔リリースされたものにのみ「夫婦のように」が認められます。別にいらんけど。

We Are The Worldに徹底して参加しなかった

こちらでも少し言及していますが、プリンスはUSA for Africaの「We Are The World」プロジェクトに参加しませんでした。正確に言うと「行けたら行く(絶対行かないやつ)」ステータスだったけど最終的にドタキャン。代わりに「4 The Tears In Your Eyes」という名曲を提供しました。
参加しなかった理由としては、大勢のアーティストと横並びになることで自身の背の低さが目立つことを嫌がったとか、マイケルに食われることを懸念していたなど諸説囁かれていましたが、2018年にシーラ・Eの証言により新たな事実が判明しました。メイキングビデオなどを見て分かるように、同プロジェクトにはシーラ・Eが参加しています。シーラは自分のソロ・パートがあると主催者から聞いていましたが、どう考えてもソロ・パートを担当する錚々たるメンバーの中で不釣り合い。実はシーラはプリンスを呼ぶために、嘘の情報で引き留められていたのです。そしてシーラ経由でプリンスに何度も督促の電話が依頼されます。プリンスはシーラをダシにした嫌らしいやり方に立腹。シーラに帰ってくるように告げて自身も行かなかったということらしいのです。

…時は経ち、1995年のアメリカン・ミュージック・アワードにて、「We Are The World」10周年を祝して一同が舞台で合唱するフィナーレが設けられました。プリンスはご覧の通り、ど真ん中の一番前にちょこんと立っていますが、手をポケットに突っこみロリポップキャンディを口に咥えたまま歌う素振りも見せません。

We Are The World

We Are The World ちょっと空気悪いんじゃない?と隣のクインシー・ジョーンズが思ったかどうかは定かではありませんが、おもむろにプリンスにマイクを差し出しました。プリンスはこれに対しロリポップキャンディを差し出すことで対応(笑)
首尾一貫して「We Are The World」には参加しないというプリンスの強い意思(天邪鬼とも言う)が垣間見える瞬間でした。でも、ステージに立っただけ大人になりましたよね。以前だったらフィナーレ前に退席してそうでした。

生涯ミネアポリスを離れなかった

ミネソタ出身のアーティストといえば、ボブ・ディランが有名です。しかし彼はデビューとほぼ同時に音楽活動の拠点をニューヨークに移しています。ミネソタの片田舎は、音楽家として活動するには不便なので当然といえば当然ですね。
しかし、我らがプリンスは生涯ミネソタに拠点を置いて活動していました。一時的に海外や他州に居を構えることはありましたが、活動の中心はミネアポリス郊外、チャンハッセンにあるペイズリーパークスタジオでした。
ミネソタは"Minnesota Nice"という言葉があるぐらい、人柄の良い地域。私も過去に二度訪れましたが、本当に親切な人が多い印象です。プリンス自身も「ミネアポリスの寒さが悪人を遠ざけるんだ」と発言してました。また、近所の人はその辺を歩いているプリンスを見かけても騒いだりジロジロ見ないという暗黙の了解を心得ていました。プリンスと地元民はまさに相思相愛だったと言えるのではないでしょうか。

近日更新予定 ⇒


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