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009:プリンスとキング(マイケル・ジャクソン)

マイケル・ジャクソン2009年6月25日、世界で最も偉大なエンターテイナーの1人、マイケル・ジャクソンが突如逝去しました。享年50、ロンドンでの50公演を目前に控えてのことでした。改めてご冥福をお祈りします…。
マイケルはまさにスーパースター。時代の寵児でした。
プリンスとは同じ歳で、80年代には音楽シーンを牽引し合ったライバルでもあり、ことあるごとに比較もされていました。今回はマイケル追悼を兼ねて、2人の接点を振り返ってみました。
※一部、ソース元が不明瞭なものがあります。

プリンスVSマイケルのトップ争い

プリンスがセカンド・アルバム「Prince(愛のペガサス)」で一般に耳馴染みの良いポップを鳴らしていた頃、マイケル・ジャクソンはレーベルを移籍して放った名作「Off The Wall」で新たなキャリアをスタートさせていました。

愛のペガサス オフ・ザ・ウォール

マイケルに比べるとポッと出の新人であったプリンスですが、シングル「I Wanna Be Your Lover」はブラック・チャートでマイケルと拮抗。2人の歴史はここからがスタートしたのかもしれません。

黒人のMTVオンエア

白人のビデオクリップばかり流すということで悪評高かったMTVですが、1983年にその壁を打ち破ったのが我らがプリンス!いや、、マイケル!
…どっち?という感じですが、実は分かりません(笑)

リトル・レッド・コルベット ビリー・ジーン

プリンスが黒人としてカウントされていなかったとか諸説囁かれてますが、実情はどうなんでしょう。圧倒的に定説となっているのは、勿論マイケル・ジャクソンの方ですが。まぁ、とにかく2人とも偉いということで。

プリンスとマイケル、思い出のステージ?

マイケル・ジャクソンとプリンスは「間接的に」共演したことがあります。2人をつないだのは大御所であり共通の心の恩師ジェームス・ブラウン。

Michael, Prince, and James Brown Michael, Prince, and James Brown

マイケルとプリンスがライブに来ているのを知っていたJBは、2人を順番にステージへ呼びます。マイケルは事前に打ち合わせもしていたらしいですが、見事にこなします。一方プリンスは恐らくぶっつけ本番だったのでしょう。ギターを借りて演奏したり、体をくねらせるダンス等を即興で行ったりします。JBだから断れませんし、若干戸惑いながらのパフォーマンスに見えます。帰り際には舞台装置を倒してしまい、きっと本人的には不本意だったでしょう。

超大物2人の食事

2人は何と一緒に食事をしたことがあるそうです。セレブ同士の会食なんて、驚くようなことじゃないですが、この変わり者のライバル2人となると話は別です!詳細はうろ覚えですが、殆ど会話らしきものが無かったとか、プリンスがプレゼントした奇妙な(相変わらず謎かけっぽい)ものをマイケルがブードゥーの呪いだと思って恐れたという書籍を読んだことがあります…。眉唾。

マイケルからプリンスへ競演依頼

BADトリビアのコーナーにも書いているので詳細は割愛しますが、マイケルはプリンスに何度かラブコールを送っています。実現したら凄かったですが、プリンスはマイケルとの競演は避けていたようです。理由は異なるかもしれませんが、「We Are The World」にも出ませんでしたしね(関連記事)。マイケルと同じステージに立ったら自分が食われてしまうと、用心深いプリンスは思っていたのかもしれません。

お互いに対する、印象的なコメント

マイコーマイケルが来日したとき、CDショップを貸し切ってCDを物色していたそうです。その折にプリンスのCDを幾つかピックアップ。関係者がマイケルに「プリンスを聴くんですか?」と聞いたら…。マイケル:「うん、聴くよ。彼は良いよね」

プリンスとあるインタビュアーが、プリンスに阿呆な質問をしました。「あなたとマイケル・ジャクソン、素手で喧嘩したらどちらが勝つと思いますか?」プリンス:「(呆れて笑いながら)彼は争う人じゃなくて、愛する人だよ
しかしプレス勢はこの素晴らしくウィットに富んだ返しに気付かず、マイケルの虐待疑惑に絡めたジョークと誤解。会場に下卑た笑いが起きました。プリンスは一瞬ムッとし、「彼について語ったことはないんだけど…」と前置きをした上で、物事を冷静に見るべきだとプレスの無配慮に釘を刺し、マイケルが戻る場所を用意すべきだと伝えました。

※マイケルのアルバム"Thriller"収録の"The Girl Is Mine"に挿入されているマイケルのセリフ"Paul, I think I told you, I'm a Lover not a fighter."を引用したものと思われます。

映画「ムーン・ウォーカー」の小ネタ

下の画像はマイケル・ジャクソンの映画「ムーン・ウォーカー」から。マイケルが側近にバブルスに何を着せたのか聞くと「プリンスのTシャツです」との回答。すかさずマイケルは「プリンスの?」と返します。

プリンスのTシャツです プリンスのTシャツです

言うまでもなくプリンス違いオチなんですが、これはマイケル本人でなく子供が演じているところがポイントですよね。お気に入りシーンです。

我が子につけた「プリンス」の名前

マイケル追悼式で素顔が公になった子供達。

プリンス・マイケル 長女のパリスちゃんは置いといて。マイケルの2人の息子に付けられた名前が「プリンス」だというのは不思議な話です(↑のネタを見ていただければ分かると思いますが)。しかし、これは別にプリンスにあやかった訳ではなく、マイケルの親族の名前から拝借したとのこと。それにしてもプリンスを全く意識しなかったというのは考えにくいですけどね。

実現しなかったO2アリーナでの50公演

2007年、ロンドンのO2アリーナでプリンスが21公演(!)を実施。健在ぶりを裏付けるように、盛況のうちに終わりました。
その2年後、音楽活動から遠ざかっていたマイケルが突如公式会見を開きます。"This Is It"と銘打たれたそのツアーの会場は、プリンスがやったのと同じO2アリーナ。しかも公演回数はプリンスを上回る50公演にも及ぶものでした。

プリンス 21 nights プリンス 21 nights

プリンスを意識したのは誰の目にも明らか。これが実現すればプリンスの記録塗り替え&華々しい復活というシナジー。しかし、その公演を目前にしてマイケルは帰らぬ人となりました
マイケルは、このコンサートに色んなアイデアを盛り込もうとしており、ツアー監督のオルテガ氏がやり過ぎだといさめたところ、「僕がやらなかったら神様はプリンスにアイデアをあげちゃうかもしれないじゃないか」(意訳)と発言したとのこと。奇しくも最期までプリンスはマイケルの視界に居続けたようです。
※同公演のリハーサルは映画「This Is It」として公開されました。

人気や記録では足元にも及ばないプリンスなのに、マイケルは何故ここまで意識し続けたんでしょう?もしかしたら音楽活動とは関係の無いバッシングの中で傷付いたマイケルは、マイペースにアーティストとしての活動を続けるプリンスが羨ましかったのかもしれません。そう、アーティストとして。

皮肉なことですが、死をもってようやく正当な評価を得たマイケル。
King of Popの称号は永遠に彼のものとなりました。

2009/10/29

 

追記:動画版マイケル・ジャクソンとプリンス(Michael Jackson and Prince)

YouTubeのpartymind channelでも「マイケル・ジャクソンとプリンス」と題した動画を作りましたので、最後にこちらでも紹介しておきます。

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