バイオグラフィー:プリンスの死因について
死因に関する公式発表
プリンスの死因は、オピオイド系鎮痛剤であるフェンタニルの過剰摂取による中毒死であり、偶発的な事故と断定されています。2016年4月21日に急逝した際、調査のため死因はすぐに公表されませんでした。逝去から1か月以上経った2016年6月2日に、合衆国ミネソタ州のミッドウエスト検視局が公式な検死結果報告を公開しました。以下のプレス・リリースに、生々しいですが死亡時の記録と調査結果が明確に記載されています。
情報源:Rress Release from Midwest Medical Examiner's Office
フェンタニルと社会問題
フェンタニルは合成オピオイドで、末期のがん患者などの疼痛緩和の目的で使用されます。ヘロインの50倍の効果があると言われる、強力な鎮痛剤です(日本においては麻薬指定)。 司法解剖の検査結果によると、プリンスの血液、肝臓および胃からは高濃度のフェンタニルが検出されています。使い続けると耐性ができるため致死量は人により異なりますが、慢性的な痛みを抱えて常用している患者としても異常に高い数値でした。
米国では
2016年だけでも約2万100人がフェンタニル使用により亡くなっており、オピオイド系全体を含めると6万4000人に上ります。処方箋があれば入手できるフェンタニルは米国で深刻な社会問題になっているため、早急な法整備が待たれています。エアロスミスの
スティーブン・タイラーはピープル誌のインタビューでプリンスの死を悼む言葉とともに「今はストリートじゃなくて医者が新しい売人だ」「アメリカ人は処方された薬の常習者なんだよ」という旨の発言をしており、プリンスの死が誰かの命を救うことを願っていました。
フェンタニルの入手経路と事件性
薬物中毒と言えば、マイケル・ジャクソンの死因が思い起こされますが、あちらは主治医による麻酔薬の過剰投与が原因でした(主治医は起訴され有罪となりました)。一方、プリンスは自身で鎮痛剤を服用したと見られています。
しかし、プリンスの自宅からは、フェンタニルではなく別の成分表記がラベリングされた偽造薬が発見されています。また、プリンスの処方箋にはフェンタニルは含まれていませんでした。つまり、プリンスは偽造薬がフェンタニル含有と知らなかった可能性が示唆されました。
これらの疑惑を含め、フェンタニルの入手経路等についての捜査が進められました。そして、彼の死から2年後の2018年4月19日、検察局がプリンスの死には事件性が無いと発表しました。証拠が立件できなかったため、いくつかの謎が残されたまま調査がクローズされました。参考リンク
なぜプリンスは鎮痛剤を使っていたのか
その原因は、彼が腰(股関節)に抱える問題にありました。長年のハイヒール着用と、高所からのジャンプ、スプリットなどのステージでの激しいパフォーマンスにより、プリンスはミレニアム前後から股関節の不具合を抱えていたと伝えられています。2005年あたりから手術をしたのでは?という憶測が飛び交い、ついに2010年に股関節置換術を受けたという話もリークされましたが、個人的に確証を得られる情報源を確認したことはありません。手術をしたかどうかは置いといても、2000年代からダンスが極端に控えめになり得意のスプリットも封印しているので、相当痛みを抱えていたと想像します。
余談:時々、プリンスが持っている杖をして、不調の証左であるとする意見を見かけますが、杖は80年代から既に使われています。その頃はステージで飛び回っていた頃なので、恐らく股関節の痛みとは関係無いでしょう。ただ、ファッションとして持っていたものが実用目的になった可能性はありますが。
死に至るまでの経緯
2016年4月初頭、プリンスはインフルエンザを理由にピアノ&マイクロフォンツアーの幾つかの公演をキャンセルしました。4月14日のアトランタ公演は体調不良を押して敢行。公演後、プライベートジェットで移動中に容体が急変し、モリーンに緊急着陸して病院に搬送されました。 ジュディス・ヒルが証言によると、実はこのときも鎮痛剤パーコセットの過剰摂取により人事不詳に陥っていたようです。緊急入院でセーブショットを処方されましたが、24時間の入院を言い渡されたにも関わらず、部屋の空きなどの理由により3時間で病院を出てしまったようです。当時のニュース
その後、死の数日前となる4月17日にはペイズリーパークで行われたダンス・パーティに登場。新しく作成したピアノとギターをお披露目し、ファンに元気な姿をアピールしました。当時のニュース
このとき、「まだ死なないよ」という意味深なことを発言していたそうですが、当然のことながら、その数日後にプリンスが亡くなると想像したファンは皆無でした…。
しかし、プリンスの関係者は彼の健康状態を非常に危惧していました。プリンスが亡くなる前日、ペイズリーパークのスタッフは薬物中毒の専門家であるハワード・コーンフェルド博士に連絡を取っています。そして、その夜に博士の息子であるアンドリューがペイズリーパークに派遣されました。しかし、彼が発見したのは既にエレベーターで息絶えていたプリンスでした。彼がもっと早く訪ねていれば…、そんな詮無いことを思わずにはいられません。