バイオグラフィー:最前線への返り咲き
再び地上に降り立ったプリンス
インターネット中心であったプリンスの音楽活動は、次第に以前の形態へシフトされていきました。かといって、古巣ワーナーのような、自身を束縛するレーベルと契約することも潔しとしませんでした。
1996年のアルバム「Emancipation」以降、メジャーレーベルとアルバム単位で配給の契約を結ぶという手法を用いていたプリンスでしたが、それを引き続き活用したのです。プリンスはアルバムを出す度に配給先を選ぶことによって、メジャー供給の宣伝力を活用しつつも、自らの自由を確保することに成功しました。
2004年にコロンビアからリリースされたアルバム「Musicology」は、店頭販売以外に、コンサートのチケットにも付属されるという奇抜な戦略で売り出されます(余談ですが、チケット購入分が加算されたため、久しぶりにビルボードを賑わすことになりました)。また、同ライブを引っさげた全米ツアーも大盛況で、マドンナなどを差し置いて、同年最も稼いだアーティストとして多くの人に記憶されました。かつてのプリンスであれば当然の話ですが、一時的とはいえシーンの一線を退いたあとの、華々しい復帰でした。
ロックの殿堂入りを果たしたり、立て続けに各アウォードを受賞したり、全盛期の活躍ぶりを彷彿とさせる快進撃が続きます。特に米国内での再評価は目覚ましいものでした。ディアンジェロ、アウトキャスト、アリシア・キーズ、Ne-Yo、Maroon5、ビヨンセなど、新進気鋭の若手人気ミュージシャンがこぞってプリンスからの影響を公言したのも、再評価の熱を後押しした要因になったと推測されます。
2007年2月にはスーパーボウルのハーフタイムショーに出演。高い視聴率とともに多くの人が「これまででベストだ」と絶賛し、話題となりました。ハーフタイムショー史上初めて雨が降りしきる中での実施でしたが、雨に濡れながら演奏された「Purple Rain」は、あまりにもドラマティックで感動的でした。後にBillboardが実施した歴代ハーフタイムショーのランキングでは堂々の一位を獲得しています。
新しいカタチ、信念の証明
「Musicology」のときは、ライブチケットとCDを抱き合わせで販売するという試みをしたプリンスでしたが、その意図がハッキリする「事件」が2007年に起きました。
「Mail」紙の広告
英新聞「Mail」紙に添付する形で、最新アルバム「Planet Earth」を無料配布したのです。
最新アルバムを、しかもCDという形態で配布するということは前代未聞の行為でした。
賛否両論ありましたが、音楽業界の関係者は概ね強い遺憾を示しました。特に猛烈に反発したのはイギリスでの配給元であるソニーBMG。何しろ他人事ではなく、直撃です。結果、イギリスではアルバム自体の発売が中止されました。
小売業から配給会社まで、あらゆる音楽業界関係者からのバッシングを受けるプリンス。こんなことをしたら音楽家としての立場が危うくなるのでは?と危惧もされましたが、プリンスは違いました。彼はイギリスにおいて21夜におよぶコンサートを開催したのです。スーパーボウルのハーフタイムショーと同じくをかたどった360度方位型のドームステージは大規模なものでした。
この象徴的な一連のキモはこうです。CD全体の売り上げが低迷し、デジタルコピーが横行する現代社会において、CDという形態のみに固執することは最善の策ではありません。ましてアーティストはその多くの利益を配給会社に搾取(とプリンスは呼んだ)されてしまいます。そこで、プリンスはCDを宣伝媒体としてのみ利用し、コンサートで利益を得ました。これはまさに、 長らくアーティストの権利を主張し続けたプリンスの最たるレジスタンス活動と言えるでしょう。
その後もプリンスは、2009年に「Lotus Flow3r」という3枚組アルバムを、米国小売店の Target から$11.95という破格値で独占販売。また、翌年の2010年には 欧州の各紙に最新作「20TEN」をまたもや無料で添付したのです。もはや彼は一般のルートで作品を流通させる気はないのでは?とファンをやきもきさせました(両アルバムとも日本の一般のルートでも何とか流通されましたが、かなりのタイムラグがあったのは言うまでもありません)。
ちなみに
Daily Mirror だけでも関連紙2種類の売り上げが約3割増加という効果でしたが、プリンスが受け取った報酬は明らかにされていません。
コンサートを中心とするという狙いにブレは無く、その後本国での Welcome 2 America ツアーを皮切りとして"Welcome 2 XXX" と銘打ったワールドツアーで各地を精力的に興行しました(ただし日本には来なかった…)。時を前後して、アーティストに利益が還元されない無法インターネットに腹を立てたプリンスは、アルバムをもう作らないという宣言をします。心得たファンは彼の言葉があてにならないと知っていましたが、気が変わるまでに珍しく時間がかかることは予想外でした。次のアルバムが出るまでに、実に4年ものインターバルが空くことになるのです。
参考文献:
「戦略の貴公子」blues interactions, inc. ISBN 978-4-86020-257-6
一部、Wikipediaより