020:プリンスの一周忌
2017年4月21日。プリンスが天国へ旅立ってから、丸一年が立ちました。
4月に入ると、プリンスファンの誰もがこの日を意識したと思います。悲しみが完全に癒えた人はいるのでしょうか?少なくともここを読んでいただいている方は、少なからぬ心の傷をいまだに抱えていると推察します。奇しくも20回目のコラムとなった今回は、今だから冷静に振り返れる「あの日」とそれ以降の心の変遷について語ります。
4月22日の朝。平日の金曜日でしたが、私は偶然休暇を取っていたのでゆっくり寝ていました。ベッドの横で寝ていた妻が目覚ましを止めるついでにスマホをチェックしていると、「え?嘘?プリンスが?」と真剣な声色で飛び起きました。その様子から嫌な予感はしつつ「どうしたの?」と私が聞くと、「亡くなったって…」と、考えられる回答のうち最悪なものが返ってきました。
私も飛び起きて自分のスマホをチェックしました。にわかには信じがたく、性質の悪い冗談か、何かの間違いであることを期待しながら…。しかし、目にする情報はことごとく、それが事実であることを伝えていました。それから出かける予定をキャンセルし、インターネットを調べ続けました。このとき、悲しみはまったくありませんでした。ただひたすら信じられず、不条理な運命に後頭部を突然殴られたように、何が起きたか分からず混乱していました。この感覚は筆舌に尽くし難いです。
「書かなければ…」と partymind のニュースにプリンスが亡くなったことを書きました。まるで、自分の親か親友が亡くなったことを自ら新聞に書かなくてはいけない記者が、自身の仕事を因果な商売であると感じるように、私も複雑な気持ちでした。
午前中にはCNNの東京支局の方からメールが来て、電話でも少しヒアリングを受けました。本国では終日プリンスの特集が組まれている状況らしく各地での追悼イベントも報道しているとのことで、日本でも同様の催しがあれば取材したいとのことでした。調べてみると、テリー植田さんが東京で追悼イベントをされるということだったので、ご本人に確認のうえ紹介しましたが、結局日程が合わず取材には至らなかったようです。
掲示板には、レスが追いつかないほど追悼コメントが殺到しました。私はみなさんが悲しみを吐露する場所を提供しているのであり、自分が悲しみに浸っている場合ではないとコラムをしたためてみましたが、今読み返すと非常に言葉が少なく、当時の心理状況が良く分かります。
このような一連のやり取りを含め、ファンサイトの管理人としての義務感は、しっかりしなくてはいけないという気持ちを私に持たせてくれたと思います。
悲しみがゆっくりと浸食してきたのは、翌日になってからだったように思います。一人になったときに嗚咽を漏らしながらむせび泣きました。プリンスの音楽はとても聴けませんでした(聴けるようになるまでは随分日数がかかりました)。その後も、何とも言えない喪失感が悪質な発作のように不定期に襲ってきました。仕事をしているときは気が紛れましたが、ふと一人になり「プリンスが存在していない」という恐ろしい事実を思い出すたび、私は虚無と戦わなくてはいけませんでした。
何週間も経ってから少しずつプリンスを(曲によって)聴けるようになり、2か月ほど経った頃から追悼イベントに出られるようになりました。私が参加したのは、大阪と名古屋。とても沢山のファンが集まっており、プリンスが愛されていたことを改めて感じました。また同時に、一人で悲しむよりも、彼の音楽を聴きながら一緒に追悼することのセラピー効果を強く実感したのです。
「悲しい」「寂しい」「戻ってきてほしい」。これらはすべて自分目線の感情です。要求とも言えると思います。それらの気持ちがいまだにあるのは真実ですが、いつまでも囚われていては前へ進めません。一方、こういうイベントに参加して、歌い、踊り、泣き、笑うことがもっともポジティブかつ効果的な立ち直り方ということに気付きました。彼の音楽を聴くとき、映像を観るとき、彼はそこに間違いなく生きています。そして、それらを見聞きしながらプリンスの偉大さを皆で共有し感謝し、さらには彼の素晴らしさを誰かに伝えていくことがプリンスへの恩返しであり、同時に自分の魂の救いにもなると思うようになりました。
この1年間、長いような短いような、不思議な感覚でした。今でもプリンスが笑っている映像を見ると泣いてしまいます。でも泣きながら感じるのは、あの頃感じていた暗闇に飲み込まれそうなネガティブなものではありません。
ありがとう、プリンス。
2017/4/23