024:プリンスとアルバム
音楽のダウンロード販売を経て、定額ストリーミングサービスが主流となっている今日この頃。もはやアルバムという単位の存在意義が希薄になっているように思えます。かくいう私もストリーミングサービスを使っていますが、ノリとしては有線やカスタマイズされたラジオといった趣きで、アルバムを意識しないこともしばしば。若い子なんかは、きっとこれがデフォルトなんですよね。
アルバムという単位は商品をパッケージするために発明された便宜的な手段であり、もはや時代遅れの化石のようなものなのでしょうか?そして、レコードショップに走り、ワクワクしながら新発売のアルバムの封を開けた日々は過去のものとなったのでしょうか?
その問いについて、プリンスが既に答えを出しています。2015年グラミー章のベストアルバム部門でプリンスがプレゼンターとして登壇した際の、歴史に残る名スピーチの中で。
"Albums, remember those? Albums still matter. Like books and black lives, albums still matter."
「 アルバムって覚えてる?アルバムはいまでも重要だよ。本や黒人の命と同じようにね。」※どちらかというとBlack lives matter運動に絡めた、問題提起を含む発言ですが、アルバムに関する捉え方も自然に表されています。
プリンスはアルバムをとても重要視していました。そのことは彼の作品のリリース形態からも見てとれます。プリンスは多作家であり、未だに金庫には膨大な数の未発表曲が眠っていることで有名です。そして一部の楽曲は裏ルートで流出してブートレグとして世に知られました。その中には、なぜ公式にリリースされなかったのか解せない、素晴らしい曲が少なからず存在するのです。「なぜこんな良い曲をリリースしなかったのか?」その答えはシンプルで「アルバムにそぐわないから」です。どんな名曲でも、アルバムの調和を乱す場合は容赦なく除外されたのです。
プリンスはほぼ毎年一枚という凄まじいペースでアルバムをリリースしました。テイストは見事にバラバラ。プリンス印という横串は刺さっているものの、それぞれをまったく別のアーティストが作ったと言われても納得してしまいそうな個性的なアルバムを創り出していました。また、「同じものは二度と作りたくない」と放言していたプリンスですが、それぞれのアルバムに収録された楽曲群は、必ずしも時系列に沿って作られたものではありませんでした。何年も前に作った曲を後年のアルバムに収録することも珍しくありません。これはひとえにアルバムとしてのトータルバランスに拘ったからだと考えられます。
「全体は部分の総和に勝る」という有名な言葉があります。ちょっと極端な例ですが、例えばバラバラに存在するレコードプレイヤーの部品を集めただけではレコードは再生できません。順序立てて組立てないと機能しないのです。同じように個々の楽曲を寄せ集めても(アーティストが意図する)アルバムにはなりません。順番や長さやジャケットデザインに至るまで有機的に絡み合って初めて「アルバムとしての機能」を獲得します。プリンスは誰よりもそれを重視していたから、アルバムの収録曲選定については当時のレーベルとも揉めたし、前述のように良い曲でもアルバムから外したのでしょう。
もっとも分かりやすい実例は「Lovesexy」です。
1980年代末、CD黎明期にリリースされたこのアルバムは曲の頭出しができません。デッキに入れると楽曲数が1と表示される、ある意味超エゴイスティックな作品です。ストリーミングどころではありません。プリンスは簡単に頭出しが出来るようになった時代にさえ、NOを突き付けていたのです。作品を細切れにするなというメッセージ、痺れますね。というわけで、ドイツ盤※聴いて日和っていた私はこれから猛省いたします。
※ドイツ製「Lovesexy」はトラック分けがされています。
2018/6/24